何の為に勉強するの?勉強って何の役に立つの?という疑問を、結構多くの方が持ったことがあるのではないでしょうか。また、そう問われて困ったことのある方も多いような気がします。「それは夢をかなえるためだよ。」とかいう素敵なアンサーは私には似つかわしくないので、私の答えはこうです。「大人になってから必要だからだよ。」
そう言われると「え?数学も?何の役に立つの?」となります?文系科目、例えば英語などは社会人になってから役に立ちそう、しかし、理系科目、例えば数学などはいったい何の役に立つのか?となりやすいのでしょうね。
理数こそ、現代文化形成に多大なる寄与を果たしてきたということは、なかなか実感しにくいことですが、「数学的思考」というのはピンときやすいかと思います。そう、実際に使ってどうのこうののレベルではないんです。「人間としての思考のレベルで大事」なんですね。人間とサルの違いって何でしょう?モノを使ってどうこうのレベルだけが人間の定義でしょうか?そう、サルとヒトの違いとは「思考」なんです。数学はその思考力形成にとって必要不可欠、だからこそ高度な人類の文明が形成されています。
英語だって数学的思考が、私が気づく範囲だけでもたくさんあります。
例えば前置詞to。The individual subordinates his interests to those of the group. という文章を使ってこう考えます。訳例は「個人は自分の利益を集団の利益にあわせるものだ。」ですが、前置詞toはベクトルの発想です。「自分の利益」→(ベクトル)「集団の利益」という数学的思考で考えると、「自分の利益を集団の利益にあわせる」となります。subordinatesが難しいですけど、ベクトルの発想で類推するわけです。
他にはfurniture。「家具」という意味の不可算名詞、つまり、数えることができない名詞です。これは全体集合という数学的思考を働かせます。家具という全体集合の中には、タンス・ソファー・椅子・机・テーブル等などの部分集合が含まれるんですね。だから「家具の絵を描いてごらん」と言われると絶対に描けません。タンスやソファー等の絵は描けますよ。でも家具の絵は絶対に描けません。絵にも描けない程の具体物でないってことは、数えようがないってことで不可算名詞なんです。furnitureが可算名詞のようで不可算名詞の理由はここにあります。
「p または q」を否定にすると「pでもqでもない」ですが、これはド・モルガンの法則ですね。If SV, then SV構文はp ⇒ q「pならばq」で、十分条件です。「共通因数でくくる」という数学的発想は、具体例から抽象化することと同等で、抽象≒具体の考え方につながります。
まだ沢山ありますがこの辺で。私が申し上げたいのは、「勉強は一見役に立たなそうな科目があっても、否、どの科目も必要!」ということです。現代文明の恩恵を受けるならば、それ相応の勉強に励みたい、そう思います。